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OPENING TALK SHOW of New Balance ROPPONGI 19:06

2017.05.31

ニューバランスの歴史と進化を知るトークセッション

ニューバランスにとって世界初となる「ニューバランス19:06(イチキュウゼロロク)」が東京・六本木のミッドタウンに誕生。ブランド誕生の年“1906”をキーワードに、デジタル時計の形式で表現することで、110年を超える歴史と時を刻み進化を続けるブランドの姿勢を表現していきます。

このオープンを記念し、トークショーを開催。ニューバランスグローバルライフスタイルのバイスプレジデント久保田伸一氏と、エッセイストであり現在は「くらしのきほん」を主宰し、ニューバランスとの関係も深い松浦 弥太郎氏が登壇。ファシリテーターは編集者としてニューバランス発のブランドブックを編纂し、BETAMAGにも参画する谷中龍太郎がつとめ、ニューバランスとこのショップのあれこれについて聞いていきます。

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左から、谷中龍太郎氏、松浦弥太郎氏、久保田伸一氏

谷中:本日ご来場いただいている皆さまは、なんとなくニューバランスについてはご存知かと思うのですが、「履き心地が良い」「歩きやすい」、一方で「他のスニーカーブランドに比べて高い」なんていう、ザックリとしたイメージをお持ちかと思います。そこで改めまして、ニューバランスがどういったブランドなのかの説明を久保田さんにお願いできますでしょうか?

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久保田:ニューバランスは1906年、このお店の名前の由来にもなっているんですが、矯正靴のメーカーとしてスタートしました。中敷のようなものを開発しておりまして、1970年代にスポーツシューズを作り始めて、いまのカタチに至ります。まず、消費者の足の傾向から研究し始め、皆さんがより心地良く、スポーツをする際であれば、よりパフォーマンスに優れることに注力して商品展開を行っています。一部高額な商品というのは、我々は唯一自社工場を持っているスポーツメーカーで、自社工場で作るアメリカ製やイギリス製のモデルになります。

谷中:そんなニューバランスで働こうと思ったキッカケや経緯を教えていただけますか?

久保田:僕は小さな頃から靴が好きで、今のようなスニーカーカルチャーがなかったので、かなり変わった子どもだったんです。あるとき出会ったニューバランスのスニーカーを好きになり、自分でもスニーカーを作る仕事がしたくなって、入社を決意しました。

谷中:噂によりますと、あまりに好きすぎて、かつてアメリカのニューバランススタッフと文通していたと?

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久保田:(笑)。中学生のとき英和辞書で調べて、アメリカに手紙を送ってみたんですが返事は来ず…。ただ、後にたまたまそのアメリカの方とお会いする機会があり、「カタログをください」という手紙を渡したら、アメリカから送ってくださり、その日以来、文通していました。

谷中:その辺りからすでにニューバランスで働こうという意思は固まっていらしたんですか?

久保田:そうですね。高校大学に進学する際に、その方々にも相談して。「英語を勉強しなさい」と諭されながら、入社に辿り着きました。

谷中:入社してからは、どういった経緯をたどるんですか?

久保田:最初は企画課というところに配属されたんですが、社員は総勢で20人ほどしかいなかったので、企画というよりはデザイン・企画・開発・ソーシング…、ほとんどのことは経験しました。その後、アジアパシフィックの仕事で香港に赴任し、それから日本に戻り、いまはアメリカと日本を行ったり来たりです。

谷中:松浦さんはマガジンハウス刊行の『男の一流品カタログ』などを編纂するなど、世界の一流品に対してつねにアンテナを張り巡らせていらっしゃる中で、かつてニューバランスと出逢い、現在も変わることなく愛用し続けていらっしゃいますよね。そこには何か理由があるのでしょうか? 出逢いの経緯から今も愛用し続ける理由など、お聞かせください。

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松浦:僕も久保田さんと一緒で靴が好きな子どもでした。久保田さんよりは少し世代が上なんですが、小学生の頃にはすでに自分の装いをカッコ良くしたいと思い始めていたんです。ただ当時は、いまほど容易にアメリカのモノを手に入れることはできず、唯一アメリカのモノで買えたのがスニーカーでした。そこで周りと差をつけるべく、親にねだって本格的なランニングシューズを履くというのがお洒落の原点になりました。その原体験から、何を着るかより、何を履くかということをつねに頭で考えていた気がします。
そして、19歳の頃、表参道のモリハナエビルの正面に、ものすごくモダンなエアロビクスのショップと出逢ったんです。そのお店で扱っている商品はとてもお洒落で、なんとなくアメリカの香りも漂っており、そのお店の端にあったのがグレーのニューバランス「1300」だったんです。まだ雑誌でなんとなく見た程度にしかニューバランスは知りませんでしたが、僕らが今まで見たり履いたりしたスニーカーとは圧倒的に異なりました。

谷中:ズックではなかった?

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松浦:そうですね。ランニングシューズなんだけど、手作りっぽくて。ただ、そのときは高額すぎて買えなかったんですが、ずっと頭の片隅にあり、気になってしまって欲しくて欲しくて仕方がなかった。19歳ですから、人と違うモノを身に付けたいし、誰よりも早く手に入れたかったんですが、とにかく高かった…。

久保田:当時で39,000円ですからね。

松浦:今まで自分が見てきたスニーカーなんて、せいぜい9,000円でしたから、39,000円と言われたときには衝撃で、正直声が出ませんでした。でも、欲しくて仕方がないからアルバイトのお金を注ぎ込んで、買うことにしたんです。これがニューバランスとの出逢いで、そんな経験をして買ったので、ものすごく大事に履きました。ですから、ニューバランスというブランドとは、もう30年以上の付き合いですね。

谷中:その衝撃は枯れることなく続いていて、いまだに愛用なさっているわけですか?

松浦:もちろん、他のブランドにも興味はあるんですが、圧倒的に何かが違う。他のスニーカーも履いてはみるんですが、ニューバランスに戻ってくる。1300は大切に10年以上履いたんですが、ソールが傷んでしまったと伝えたらソールのリペアができると教えてもらいました。革靴ならともかく、スニーカーでソールのリペアができるというのも衝撃で感動しましたね。

谷中:モデルによってではありますが、ソールのリペアも可能なんですね。

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松浦:一足のランニングシューズではあるんですが、その裏側には作り手の人格というか、姿勢とか意思を感じることができ、そこに惹かれたのがニューバランスを愛用し、リスペクトする理由だと思います。

谷中:お店の話に戻りますが、今回、六本木というエリアに世界初となるコンセプトストアをオープンしたわけですが、オープンに至る経緯、さらには掲げたショップのコンセプトを教えていただけますか? また、ショップのネーミングについてもお聞かせください。

久保田:戦略のひとつに、お店で直接メッセージを届けるというものがありまして、消費者の方々と直接コミュニケーションを計ることの大切さは訴え続けており、今回六本木でそれを実現することができました。最初にお店を出したいと社に提案したのは3~4年前になるんですが、我々はメトロポリタンアスリートというのを提唱していまして、ガチガチのアスリートではないんですが、スポーツからインスピレーションを得てファッションを楽しんだり、スポーツを楽しんだりする場面においてニューバランスが何かサポートをできないだろうか?というのを考えています。それを実現する場所として、都会的で洗練されたイメージで具現化したのが、このお店でした。

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久保田:お店の名前は、ブランドが1906年から始まっているんですが、どんどん前に進んでいく、進化していくことをイメージしてデジタル時計の数字を採用しています。内装に関してはできるだけスッキリしていて、贅沢な時間を過ごしながらも商品がしっかり見られる。無機質なものと有機的な木の温もりを同時に感じられる空間に仕上げています。あと実はモジュール性が高くて、棚はすべて壁にハマるなど、いろいろなアレンジも可能で、その時々でさまざまなレイアウトを構成できます。

谷中:ということは時を経て、変化するという訳ですね。実際ショップをご覧になり、いま久保田さんに語っていただいたコンセプトなども伺って、松浦さんが抱いた感想と印象についてお聞かせ願えますか?

松浦:もともとニューバランスは矯正靴からスタートしていて、そこを原点として、ひとの暮らしに寄り添うというか、ひとを助けるために誕生した靴と考えると、アスレチックを極めたような世界観ではなくて、親しみを持てる素材などで構成された空間に仕上がっていますし、いいムードが漂っています。

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谷中:ちなみにですが、お二方にとって記憶に残っているモデル、モストフェイバリットモデルは何ですか?

久保田:ふたつあるんですが、ひとつめは中学校のときに履いて衝撃を受け、ニューバランスで働きたいと思うきっかけになった「620」です。このモデルは衝撃的に強く自分の中に残っているのと、あとは2017年の春にリリースした「247」ですね。こちらは僕らのチームで初めて、全員で力を合わせて作った靴で、ニューバランスらしいんだけど新しいし、履き心地も良いしっていう、チームの傑作と言えるモデルです。

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松浦:僕も人生を変えたという意味では「1300」ですね。このクオリティにはものすごく感動しましたし、このクオリティにどう自分を合わせていくかも考えて、同レベルの他のアイテムを探したりもしたので、とにかく印象には残っています。あとは本日履いてきている「1978」というモデルですね。じつは初めて「1300」を履いてスゴいと思ったのと同じ感覚を覚えたんです。今まで自分が経験したことがないフィット感と履き心地、デザインなど、僕にとっては新しくて何気なく履いてはいるんですが、この「1978」が今後ニューバランスが進んでいく方向性を示しているような気がするんです。何日か履いてみて気がついたんですが、ニューバランスの進化というか、今現在のポジション、これから向かっていくところを感じることができました。ネガティブなポイントを見つけようと思ったんですが、悔しいかな見つけられなかったんです。すべてが新しく感じるけど、精神性はニューバランス。この感じがたまらなくて嬉しくて、毎日のように履いています。

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谷中:「1978」は、すべてのパーツをアメリカで生産している本当の意味でのMADE IN U.S.A.というところも面白いですよね。

久保田:ヴィブラム社と共同開発した初のインジェクションのソールユニットというのも新しく、次のニューバランスが目指す方向性を示していますね。

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谷中:また今回、限定で3Dプリントシューズを販売していますが、このモデルについても伺えますか?

久保田:クラシックとかグレーのイメージが強いのでコンサバティブな印象を持たれがちなんですが、開発やデザインをするときはイノベイティブでアグレッシブに取り組むんです。ただ地味に見えるので、その部分にフィーチャーされることが少ないんですが、今回は「イノベイティブな部分をはっきり出そうよ」というのが始まりで、3Dプリントのソールを採用しています。革新的ではありますが、ニューバランスにとっても重要なモデルになるので、我々にとって最もアイコニックなモデル「990」からインスピレーションを得て、数字を逆さまにした「066」にして、カラーもグレーで仕上げました。

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谷中:松浦さんがご覧になっての率直なご感想をお聞かせください。

松浦:ものすごいチャレンジですよね。僕から見ると“紐がない”ってデザインにおいて大きいんです。だから、この“紐がない”ニューバランスをどうやって自分が受け入れていくのか、靴から問われている気もするので、悩んでいる感じです。正直、まだ抵抗はありますよね。ただ、靴のことを一日中考えている方々が「この靴に助けられる」と思ってデザインしたわけだから、こういったデザインの靴を取り入れていくのがスタンダードになっていくし、必然なのかもしれないですね。

谷中:最後に今後のニューバランスを展望して、中と外、お二方が描く未来についてお伺いしたいのですが。久保田さんが今後実現していきたいことは何ですか?

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久保田:ライフスタイルにおいては「スタイル オブ ライフ」というのを大きなコンセプトに掲げており、スポーツシューズのカジュアル版ということではなく、さまざまな生活シーンに見合った靴を提供して消費者の方々をサポートできるかということを突き詰めるとともに、クラシックというイメージが強いんですが、新しいものだったり、いろいろなカテゴリーのアイテムを増やして、消費者の方々のどんなニーズにも応えられる商品群を充実させていきたいです。

谷中:松浦さんが今後のニューバランスに対して求めることはありますか?

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松浦:靴を通した、新しいライフスタイルの体験をコミュニケーションしていただけると嬉しいです。その関係性が途絶えることなく、続いていくことを期待したいです。これは全く心配しているという意味ではなく、僕は恐らくずっと、ニューバランスを履き続けるとは思いますので。

谷中:ご来場いただいた皆さま、本日はご静聴ありがとうございました。登壇していただいたお二方に大きな拍手をお願い致します。

photo:Akira Onozuka
text:Ryutaro Yanaka